ここでは、思いつくままに文章にしてみた。未熟なことしかかけないだろうが、20代ならではの感じ方もあることだろう。あんまり大げさなことをかいても仕方ないと思うので、僕が経験し、感じたことだけ書く。
僕は修士・博士の学生時代を物性研究所という場所で過ごした。今は柏に移っているが、当時の物性研は六本木の小さなキャンパスにあった。物性研究所というところは(今でもそうであろうが)、学部学生がいないこともあって、ぴりぴりとした独特の雰囲気があったのを今でも覚えている。
ある年、僕はそこでスランプに突然見舞われてしまった。計算に集中できず、論文を一生懸命読んでも頭にのこらない、そんな時期があったのだ。研究室にいるのがいたたまれず、僕は隠れるように図書館に通った。
計算に集中できない時は、僕はよく図書館においてある本を適当にもってきて眺めていた。しかし不思議なもので、元気なときは面白そうだなと思っていたことでも、精神的に落ち込んでいる時には、なぜか色あせてみえるものである。物性研究所には、多くの物性関係の本が置いてあったが、当時の僕はそれらの本が、人間の言葉で書かれているとは思えなかった。書いてある言葉が、ひどく非人間的な気がした。そこにかいてあることは真実なのだろう。だた、そのような真実の言葉は、当時の僕の心に何も響いてこなかったし、なぜだかひどく傷つけられたような気もした。
ある日、図書館で唯一の例外的な本を見つけた。題名は正確には覚えていないが、山本義隆による「重力に関する諸思想」かなんかのタイトルで、力学の歴史を語ったものだ。内容は高校で一通り習う範囲である。しかしそこには、自然科学を支える思想の深み、人間の営みの不思議さと、その上になりたつ科学というものが、実にいきいきと語られていた。これを読んで、僕は初めて物理に関わることの意味を考え始めたのだった。
この本は1つのきっかけになった。この本に影響されて、僕は塾で中学生のための物理入門を企画した。これまでの高校の授業にはないような、人間の自然認識の変遷に焦点をあてた授業をめざしたのだ。必死で実験を準備し、科学史の本をあさった。そうして5日間の講習を行ったのである。今からみるとつたない授業ではあったと思うが、この授業によって、僕は自分が物理に関わっていく意味を、回り道ではあったが確認できたように思う。
こうして得られた結論は(今のところは)こうである。物理の真髄は、自然を理解しようとする人間の営み(あがき?思想?)である。僕は物理を学ぶべきだから研究しているのではなく、自然を理解したいから(研究したいから)研究しているのである。(研究所では、目に見える成果を出すことに急ぐあまり、科学がもともとどのようなものであったか、ということを忘れてしまっていると、僕は思う。)そして、僕が物理を専門にしていない人々に対してできることとは、我々科学者がとりことなっている科学の魅力の本質を、一部でもいいから共有することである、と。
こう考えてみて、ようやく気分が楽になった。こんな簡単なことに気が付くのに、僕はひどく時間がかかってしまったのだ。(考えてみると科学の本質について、面と向かって議論してくれる人が、僕の周りにはいなかったのである。)
さて、その肝心の山本義隆の本の最後は、こう結ばれていた(と記憶している)。「・・・共同利用研究所ということで物性研究所の図書館にも、資料を貸してもらえるように交渉したが、よくわからない理由で拒否されたこともここに記しておくべきだろう。」その拒否されたまさしくその物性研究所に、山本義隆の本がおいてあり、そして彼の本に多少なりとも救われた者がここにいることも銘記されるべきでしょう。
思いません。20代は暗黒の時代(?)だったので、もうこりごり。
そういえば、この間、新一年生のガイダンスで、教員一人一人があいさつをして、僕の番もまわってきた。(一年前には、こんなことになるとは思いもよらなかった。)そのとき、無意識についてでたことばが、「僕もこれまで、なにがなんだかわからず、つっぱしってきました。」というものだった。自分でも少し驚いた。
確かに「つっぱしってきた」という気はする。ただし、それは目標をもって頑張ってきた、というようなかっこいいものではないです。20代の心象風景といえば、本当に闇の中にただ一人いるようなもんでした。「つっぱしってきた」のも、こんな闇の中で止まるのが怖いので、ただ走ってきたようなものです。ときどき、へたばったときもありましたが、そういうときのつらさというのは、夜の闇の中で脚をくじいて動けなくなってしまったときと似ている気がします。
僕はかなり馬鹿だったので、どちらに向かえば正しいとか、そんなことぜんぜんわかりませんでした。そもそも、走る方向を、僕が選択できるのか、すら怪しいものです。走っている本人が、どこに向かって走っているのか、解らないというのは、それはそれで、つらいものがあります。
そういうわけで、僕はもう二度と20代に戻りたくはない、と思っています。20代を貫通している雰囲気(空気みたいなもの)を思い出すと、胃がきりきりくるから。これはもう、理屈じゃないですね。
表題のDon't believe over thirty.という言葉、訳すと「30歳以上の人の言葉を信じるな」ということになります。 僕はこの言葉を最近知って、「ああ、あとちょっとで自分は信用されなくなるのか」などとちょっとしたショックをうけました。でもこれはきっと、20代を流れている空気というのは、多分20代の人にしかわからない、ということじゃないかと思います。30歳を超えると、20代の記憶のうちのもっとも基本となる部分が、封印されてしまうんじゃないかな。それを認識せずに、訳知り顔にお説教などをする人がいるので、こんな言葉ができてしまったとか。(うそかも)
ぜんぜん関係ないけど、村上春樹のエッセイで、「30歳成人説」というものがありました。現代では、人生の選択が定まるのは、30歳ぐらいだろう、という意味です。僕もそれには賛成です。最近、荒れる成人式ということが、問題になっているけど、成人式を30歳でやったらどうだろう。僕なら行くけど。